この市街区域は、カニニウスの境界標で境界が示された公共エリア(公有地)内にあり、共和政期には注目に値する意味を持っていた。その証拠に、既に紀元前一世紀に四神殿の聖地として重要な役割を担った。隣接したエリアには、劇場並びにその背後からテヴェレ川に続く大広場を含む広大なコンプレックスがアウグストゥス帝時代に建設された。劇場は帝政期を通じて再建と増築が行われた。続いて、大広場は広いポルティコの建設でモニュメント化され、起業家や船主の本部が置かれた。中央には庭に囲まれた神殿が建てられた。この地区の西側の境界線には、オスティアの主要な穀倉である大倉庫(Grandi Horrea)コンプレックスがあり、テヴェレ川と直結する地の利を生かしていた。