この墓は紀元後の一世紀初頭に建設されたもので、最初はオプス・レティクラトゥム(網目積み)の煉瓦造りの囲いの形を取っていた。特に価値があるのは、アーチを頂いた煉瓦を使った建築要素がある北側のファサードである。その半月部分には黄色と赤色の煉瓦、凝灰岩、軽石を交互にあしらった多色の象眼風の装飾がある。一世紀後半になると、この墓は遺灰を入れる骨壷を配置するニッチが壁に沿って並ぶコルンバリウム(納骨堂)に姿を変えた。二世紀からは、遺体を納めた棺を配置するための大きなニッチ(アルコソリウム)が追加された。この最後の時期には、「墓の通り」を意味するセポルクリ通りと連絡するように、当初の墓の高さより高い位置に2室が追加された。