85番墓〜95番墓の正面の壁が続きになっているのは、時代が古い85番墓および86番墓に、後になって他の墓を密着させて造った結果である。古い墓は、向きや饗宴のための備え付け用具が残存するファサードの造り方に影響を与えた。さまざまな色のテラコッタと軽石による幾何学模様や花模様が、建築の細部や枠を際立たせている。
85番墓:墓室型。囲い地は後に造られたもの。火葬埋葬に対応している。不火葬埋葬は続く時代のものである。推定時期: 125~130年。
86番墓: 2つの階で構成される墓室型。囲い地は後に造られたもの。複合儀式に対応した構成となっている。床のモザイクには死者の渡し守をするカロンの神話の場面が描かれている。推定時期: 125~130年。
87番墓:墓室型。同時代に造られた囲い地がある。銘板には不火葬埋葬者の受け入れを禁じる内容が記されている。神話や象徴的なテーマを描いた豪華な化粧漆喰、絵画、モザイクで装飾されている。推定時期: 140年頃。
88番墓:墓室型。囲い地と側面の入口がある。火葬・不火葬の複合儀式用である。アルコソリウム(アーチ形壁がん)のモザイクには、英雄化された被葬者のクリネ(寝台)で宴会を開いている場面が描かれている。推定時期: 125~130年。
89番墓:前に造られた窯と井戸を組み入れた囲い地の中に3つの墓室がある。入口の墓室と90番墓の壁に接して造られた墓室は火葬埋葬に対応し、奥の墓室は火葬・不火葬の複合儀式のために構成されている。推定時期: 160~170年。
90番墓:墓室型。側面に入口があり、後部に囲い地がある。火葬埋葬に対応している。化粧漆喰(小さな場面が描かれた八角形の枠)や絵画(飛ぶ白鳥や鷲)の豪華な装飾がある。最初の建造が125年~130年と推定される墓では、馬に乗った若者と彼に従う老いた召使いの彫刻群が発見された。碑文に記されている所有権の移転により、不火葬埋葬者も受け入れるようになった。墓の最後の使用期間(三世紀半ば頃)は、灯台で示された港への帰還の場面と居酒屋の場面が描かれている石棺の板から確認されている。
92番墓、93番墓:後部に囲い地がある墓室型。火葬埋葬のみに対応していた。後になって、不火葬埋葬が、二世紀のものと推定される92番墓に受け入れられた。この囲い地には絵画装飾があった。93番墓は、化粧漆喰と、花の燭台やディオニュソス的主題を描いた絵画で、豪華に装飾されていた。推定時期: ハドリアヌス帝時代(117年~138年)。
94番墓:墓室型。複合儀式に対応した構成となっている。後に設けられた囲い地(モニュメントゥム)は、当初から四つに分割されていたが、その後、ロットごとに売却された。推定時期: 140~145年。
95番墓: 墓室型。火葬埋葬のみに対応するように構成されている。墓室内にはヘラクレスの偉業を描いた化粧漆喰の装飾があった。推定時期: 120~140年。
97番墓:囲い地を伴う墓室型。火葬埋葬のみに対応していた。東側の壁には第二の扉があるが、不火葬埋葬を受け入れるために三世紀半ばに行われた、墓室内部のかさ上げと関連させるべきものである。内部の角柱の上に据えられた大理石の祭壇には、ファサードの銘板と同じ文言が刻まれている。推定時期:二世紀初頭。
100番墓:墓室型。複合儀式に対応した構成となっている。ファサードでは、銘板の両側にテラコッタの浮彫りがあり、医療に従事する夫婦の姿が描かれている。妻は産婆として出産する女性を助け、夫は外科医として傷の手当てをしている。推定時期: 140年頃。