この門は、紀元前一世紀半ば頃に建設された共和政期の城壁にあり、ラウレンティウム(Laurentum、ローマの南にあったラツィオの町)に続き、オスティア内ではカルド・マクシムスとなる、古代のラウレンティーナ街道(Via Laurentina)上にある。この門の近代の名前である「Laurentia」は、キリスト教関係の資料にある名前から来たものと思われる。単一の部屋と両脇の正方形平面の塔で構成される門は凝灰岩ブロックで化粧仕上げがされていた。南側には今でも木造扉のための溝が残っている。帝政期になると、西側の塔は近くのマグナ・マーテルの聖地で行われた雄牛の供儀(牡牛を生贄にする儀式)に使用された。